●ドキュメンタリー映画「花はどこへいった」
兵は死に国は罪過を忘れたが
3世代にわたる戦争の「傷跡」
ベトナム戦争の時代(1964〜75年)、一つの歌が世界ではやった。ピート・シー
ガー作詞作曲の「花はどこへいった」で、「兵士はどこに行ったのだろう……みんな墓
の中に」といった歌詞だ。日本でも加藤登紀子らによって反戦歌として盛んに歌われた
。
今度、同名の映画が公開される。54歳で急逝した夫の死に疑問を抱いた妻が、その理
由を追い求めたプライベートなドキュメンタリーだ。
夫は『タイム』誌の契約写真家としてアジア各国を取材した米国人のフォト・ジャー
ナリスト、グレッグ・デイビス。妻はこの映画を撮った坂田雅子。二人は70年に結婚す
るも、18歳でベトナムへ出征したグレッグは、米軍機の散布した枯れ葉剤を浴びたので
、妻には「子供は作れない」と伝えた。兵隊時代についても多くを語りたがらなかった
。
グレッグは03年、がんを発病してわずか半月後、「肝臓が爆発」するようにして亡く
なった。雅子は心の空洞を埋めるため、夫の親友の写真家とベトナムへ旅立つ。そこで
彼女が見たものは、枯れ葉剤に含まれる猛毒のダイオキシンのために3世代にわたって
苦しむ人々の姿であった。
手のない子、足のない子に目のない子。なかでも頭の上にもう一つ頭がある子供には
驚かされる。それでも、その子が家族に甘える姿はいとおしく、胸が痛くなる。
日本でもダイオキシンの被害実態を記録したものに、テレビ朝日の「ベトナム枯れ葉
作戦の傷跡」(81年)や西山正啓が手がけたNHKの「ベトナムに生まれて」(99年)
などがあるが、映画は米軍機が散布した枯れ葉剤は8550万リットルにも達したとす
る。
雅子はグレッグと同じ猛毒に侵された子供たちにひかれ、鎮魂の旅は、米国家と戦争
で儲けた大企業の悪を告発する歩みへと変わっていく。
なお、ベトナムの風物詩を撮ったグレッグの数葉の写真が印象的だ。(木下昌明)
*『サンデー毎日』2008年6月1日号所収
映画「花はどこへいった」は6月14日から東京・神田神保町の岩波ホ
ールで公開
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Last modified on 2008-06-02 15:23:34
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