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レイバーフェスタの感想〜すばらしかった映画「地の塩」
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 映画「地の塩」はすばらしかった。労働運動というテーマだけでなく、運動内部のジェンダー問題に深く切り込んでいたところがすごい。50年以上前に作られた映画だが、その問いかけは十分に現在性を帯びている。ハリウッドの赤狩りで追われた映画人たちが作った、という背景も興味深い。ぜひこの映画を、フェミニズムやセクシュアリティの問題に取り組んでいる知人にも紹介したいと思う。

 映画の中で心に残ったシーンがある。妻が夫と口論になった翌日、妻が友人との会話の中で「彼の自尊心を傷つけてしまった」と心配するところ。この「気遣い」を見て、胸が痛くなった。逆パターンは有り得るだろうか?つまり、夫が妻を怒鳴った後で、「妻の自尊心を傷つけてしまった」とクヨクヨすることがあるだろうか? 女はいつだってこういう気遣いをして生きて来て、かたや男は鈍感である。私の母も口喧嘩では父に勝るのだが、最終的にはどこかで父をヨイショするようなことを言って、父のイライラを鎮めるのである。父のほうが経済力と「古い手(=腕力)」があるから。母はそれが行使されないよう、「塩梅」を知っているのだ。

 そんな感じで、この映画はいろいろと心当たりのあるシーンが満載で、胸が痛くなる。冒頭、幼い子どもと二人きりの部屋の中で、妻は精神的に煮詰まり、「もう子どもを産みたくない!」と心で叫び、アイロンがけを投げ出す。現代風に言えば「育児ノイローゼ」という言葉で片付けられてしまいそうだが、この叫びは、単なる「育児がイヤ」ということじゃなくて、映画全編を貫くテーマであると思う。そして、その後のレイバーフェスタの大討論会にもつながるテーマである。それは、立場の弱い者にとって、立場の強い者がなかなかわかってくれないという苛立ち、である。

 大討論会でパネラーの一人が、正規雇用者が非正規雇用者に「手を差しのべる」という表現を使った。これについて、会場から「上から物を言うような感性が問題ではないか」という旨の発言があった。それに対し、労働者同士が分断するのではなく連帯しよう、「手を差しのべる」ことは大切だ、という意見も出た。私はこの議論を聞いてこう思った。むしろ立場の弱い者が立場の強い者に対して、「意識改革の手を差しのべる」しか方法が無いのではないか。立場の強い者はその地位に安住してしまうので、悪意は無くとも、なかなかその意識は変わらない。自分で気づいてくれればいいのだが、なかなかそうはうまく行かない。だから弱い者が声を挙げ、強い者に手を差しのべて、正しい方向へ導くしかないと思う。そのために、強い者を敵視するのではなく、仲間として連帯する必要があると思う。本当の敵と闘うために。

 話を少し戻すと、私は会場からの「上から物を言うような感性が問題ではないか」という発言は、とても大事な発言だったと思う。私たちは、私も含めて、悪意は無くとも無意識に出てくる感性がある(無意識こそ性質が悪いのかもしれないが…)。例えば、私は同性愛者だが、平和や人権運動に取り組んでいる仲間からもビックリするようなホモフォビア(=同性愛嫌悪)的発言を聞くことがある。翻って我が胸に手を当てると、障害を持っている人や、養護施設の友達(事情があって親に育てられなかった)に対し、傷つけるような発言をしたことがある。

 人間は、恵まれた立場に居ると、恵まれていない立場の人のことが見えなくなってしまう。レイバーフェスタ2007に参加して、自分は足を踏んでいないか、常に、常に、チェックすることが必要だと思った。

 帰り道、そんなことを考えながら歩いてくと、渋谷の街はクリスマスの電飾でいっぱいで、こんなふうに無駄に電力使ってるから大間で原発が計画されるのかなあ、とか思ったり、片付けの時に自分が風刺漫画を展示した紙を、古紙として再利用せずに廃棄しようとしたことなど、しきりに反省されるのである。

壱花花
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Created by staff01. Last modified on 2007-12-17 00:23:40 Copyright: Default

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