●「シッコ」
「マイケル・ムーアの」新作映画
米国の医療システムに「挑戦状」
マイケル・ムーアが、またしても米国政府に「挑戦状」を叩きつけた。これまで彼は野放しの銃社会やブッシュ大統領のイラク戦争を批判してきたが、今度の映画では、「医療システム」を告発している。
米国には日本のような国民皆健康保険制度がないので、人々は民間保険に頼らざるを得ない。そこで保険会社は保険金の支払いを少なくする目的で医者に奨励金を与えてろくに治療させないように勧める。その保険会社からブッシュ大統領をはじめ、一時は「皆保険制度」を唱えたヒラリーまでが献金を受けている始末である。
映画のトップシーンでは、中指と薬指を切断した大工が病院にかけこむが、医師から中指は6万ドル、薬指は1万2000ドルといわれ、泣く泣く薬指だけを縫合してもらう。ところがカナダでは、5本の指を切断した男が金銭に関係なく、全部縫合してもらい、それを医師が当然のことをしたまでと言うシーンもある。
ムーアはあの巨漢で、カナダ、イギリス、フランスを訪ねて突撃取材を重ね、それぞれの国民が安心して治療を受けている実情を知って驚く。
映画の後半には、9・11で華々しく活躍し、大統領から「英雄」と称えられた消防士たちが登場するが、灰じんの後遺症に苦しんでいた彼らに政府はまともな救済の手立てをしなかったという。これをみかねたムーアは彼らを3隻の小船にのせ、医療体制の完備されたキューバに無許可で渡り(写真がそれ)、治療を受けさせる。アメリカとキューバ―両国の消防士が交流するシーンは感動的だ。ムーア映画の根っこにあるのは命の大切さを第一にした「助け合いの精神」といえよう。
構造改革の名の下に、急速に変貌しつつある日本の状況にあって、この映画は必見といえよう。
(サンデー毎日 2007/8/19・26号に加筆)
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●「ミリキタニの猫」
「NY路上の老人画家」の映画
絵から見える「日系人の歴史」
80歳の“ホームレス老人”に焦点をあてたドキュメンタリー「ミリキタニの猫」は、ロマンの薫りがして、ヤ数奇な人生ドラマユでも見ているような気にさせる作品だ。
老人はニューヨークのソーホー街の路上で、段ボール箱を机にして一日中絵を描く。彼は物ごいを拒否し、絵を売ってしのぎ、頑固一徹に「芸術家」としての自分を貫いている。そこへさまざまなドキュメンタリーを手がけたリンダ・ハッテンドーフという若い女性が通りかかり、彼に話しかけたことが二人の出会い、そして映画の始まりとなる。2001年1月のこと。プライドの高い老人は、自分を撮影してくれれば猫の絵をあげると言った。
日系人である彼はジミー・ミリキタニという。漢字表記だと「三力谷」という珍しい姓。猫の絵が好きでよく描くが、風景もよく描いた。リンダがそれらの絵を撮影しながら尋ねると、たとえば絵の中の“赤色”は「広島の柿だ」と答える。そこで広島の育ちと分かるが、同じ赤色を使って原爆ドームと重ねて描くと今度はそれが「劫火」となった。彼の親族は原爆で亡くなったという。
このように絵を媒介にすると彼の内面世界も見えてくる。なかでも、彼が好んで描く荒涼とした山のある風景からは、戦争中にカリフォルニアのツーレイク日系人強制収容所に入れられ、市民権を剥奪された苦難が顔をのぞかせる。そこから、日米間に横たわる戦争の酷薄な歴史もあぶりだされてくる。
映画は、「9・11」でツインタワーが煙に包まれ、騒然とした中で黙々と絵を描いているジミー、収容所の跡に立ってスケッチするジミーなど、印象深い映像が続くが、何よりもリンダのアパートでの奇妙な共同生活(なんと二人で暮らしはじめるのだ!)が興趣にとんでいる。彼女は老人のためにあれこれ奔走する。お陰でジミーは昔の知人や「ミリキタニ」の一族(?)と再会も果たす。また、彼がなぜ「猫」の絵に執着するかもみえてくる。数多くの賞を受賞した味わい深い傑作。
9月8日より渋谷・ユーロスペース他にて順次ロードショー。
(サンデー毎日 2007/9/2号に加筆)
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Last modified on 2007-08-28 10:52:37
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