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国労留萌闘争団の大谷英貴さんが逝去
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1987年にJR不採用で解雇され、国労留萌闘争団として20年間、闘ってきた大谷英貴さん(写真)が、3月3日亡くなりました。進行ガンとの闘病の末でした。享年51歳。ドキュメンタリー映画『人らしく生きよう−国労冬物語』にも出演し、広くこの問題を社会に訴えてきました。葬儀は3月7日、留萌現地で行われます。なお、大谷さんは、レイバーネット日本の会員でもありました。以下、杜海樹さんの投稿を紹介します。(編集部)

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海樹通信

大谷さん、ありがとう。

 大谷英貴さんと知り合ったのは、映画「人らしく生きよう〜国労冬物語」を通して でしたね。初めてお話ししたのは、映画の後の食事会でしたね。その時、「サイン下 さい」ってねだったら、大谷さんは照れながら、「書くものがないよ」といって、紙 切れの端切れに『大谷英貴 納得した解決を勝ち取る』って書いたのですよね(この 時のサインは大切に保管してあります)。私は即座に、その言葉をホームページに掲 載し「勝手に応援ページ」を作ったのでしたね。「映画スターになったみたい」って ね。
(この時のホームページは、管理者の協力でそのままの状態で保管されて、今でも見 ることができます)

http://comcom.jca.apc.org/kokurou/
あれから、まだ、5年少ししか経っていないというのに・・・。

 私が職を失い、低収入で過ごしていた時は、「飲みにいこうよ」ってよく誘ってく れましたね。そして、大概、大谷さんが「いいから、いいから」と飲み代をもってく れていましたね。カラオケも時々行きましたね。大谷さんは、裏方に徹して、ほとん ど表にはでず、共闘の和を拡げようと歩きまわっていましたね。共闘会議が立ちあ がった時は「司会やってよ」って言ってきて、「私でいいの?」と言ったら、「いい からやって」って。東京西部で団結まつりをやろうと言った時は、皆で会場捜しをし ましたね。「共闘を拡げるにはどうしたらいいか」とよく話しましたね。お電話もた くさんいただきましたね。ようやく共闘の陣形が見えはじめたというのに・・・。

 ご恩を頂いたまま、逝かれてしまうのは辛いです。
 でも、仕方ないですね。
 採用差別事件から20年。闘争は続いていますが「納得した解決」を勝ち取りま しょうね。今日までお疲れ様でした。そして、たくさんのご恩ありがとうございまし た。このご恩は私の持っている時間で少しずつ返せたらと思います。きっと「でき る」よね。大谷さん、おやすみなさい。ご冥福をお祈りします。

cubacomm@mail4.alpha-net.ne.jp
Mori Miki
杜 海樹(片柳悦正)


Created by staff01. Last modified on 2007-03-05 10:55:43 Copyright: Default

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