東アジアの人々の声が「Yasukuni No」で一つになった | |
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東京で難民・入管問題等に関わっている西中です。 今回の靖国行動には3日間ほど参加しました。先月末、 たまたま映画「出草之歌」の上映会の手伝いをする機会があったので、 是非、チワスアリさんと飛魚雲豹音楽工団の靖国での闘いを 生で見てみたいという、極めてミーハーな理由で参加しました。 今回の一連の靖国行動の原動力がどこにあるのか、あまり考えずに 日本教育会館での集会やキャンドル行動、「YASUKUNI NO」の 人文字づくりなどに参加したのですが、今回の行動を準備し支えてきた 人と人の直接のつながりに辿りつくまで、10年以上の時間が流れていた ことに気が付きました。 戦争責任や戦後補償問題等の数多くのネットワークと、それぞれの長年に渡る
取り組みが繋がって実現した今回の行動だったと思うのですが、中でも
東アジアの冷戦構造の中、韓国の軍事政権下で長年獄中にあった徐勝氏と
台湾の政治犯の方々との出会いを機会に1996年に発足し、2003年まで、
関西を拠点に台湾・韓国(済州島・光州・麗水等)・沖縄・関西で連続して
開催されてきた「国際シンポジウム 東アジアの平和と人権」 今回の靖国行動が提起した問題は非常に広範なものですが、 日本の植民地支配から解放された後の厳しい冷戦構造の中で、長年 封殺されてきた東アジアの人々の声が、「Yasukuni No!」というひとつ の声となって、東京で響いたことに、感慨深いものがありました。 人文字を作った明治公園には、韓国の光州事件以来、韓国の民衆美術を
支え模索し続けてきた洪成潭(ホン・ソンダム)氏 また明治公園の片隅には、89年の天安門事件の際に来日し難民申請した 中国民主活動家の友人も来ていましたが、「今回の行動には大陸系の人は 参加できないなあ」とポツリと呟いていたのが印象的でした。 東アジアの政治体制も歴史的課題も一様ではありませんが、今回の靖国行動で 提起された様々な課題を、自分のテーマの中で反芻していきたいと強く思いました。 まとまりのない私的雑感になってしまいましたが、何かの参考になれば幸いです。 Created by staff01 and Staff. Last modified on 2006-08-19 09:22:18 Copyright: Default |