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東アジアの人々の声が「Yasukuni No」で一つになった
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東京で難民・入管問題等に関わっている西中です。

今回の靖国行動には3日間ほど参加しました。先月末、 たまたま映画「出草之歌」の上映会の手伝いをする機会があったので、 是非、チワスアリさんと飛魚雲豹音楽工団の靖国での闘いを 生で見てみたいという、極めてミーハーな理由で参加しました。

今回の一連の靖国行動の原動力がどこにあるのか、あまり考えずに 日本教育会館での集会やキャンドル行動、「YASUKUNI NO」の 人文字づくりなどに参加したのですが、今回の行動を準備し支えてきた 人と人の直接のつながりに辿りつくまで、10年以上の時間が流れていた ことに気が付きました。

戦争責任や戦後補償問題等の数多くのネットワークと、それぞれの長年に渡る 取り組みが繋がって実現した今回の行動だったと思うのですが、中でも 東アジアの冷戦構造の中、韓国の軍事政権下で長年獄中にあった徐勝氏と 台湾の政治犯の方々との出会いを機会に1996年に発足し、2003年まで、 関西を拠点に台湾・韓国(済州島・光州・麗水等)・沖縄・関西で連続して 開催されてきた「国際シンポジウム 東アジアの平和と人権」
http://eastasia.cside.ne.jp/index.htm#
を通じて培われてきた、東アジアでのネットワーク形成や問題意識の共有化、 関西での中国人強制連行の取り組みなどが、今回の行動を支えてきた人的 ネットワークの源にあったように感じました。
(このネットワークが、「靖国アジア訴訟」や、8月12日に大阪地裁に 提訴された「靖国合祀イヤです訴訟」にも繋がっているのだと思います。)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/noyasukuni/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060811-00000109-mai-soci

今回の靖国行動が提起した問題は非常に広範なものですが、 日本の植民地支配から解放された後の厳しい冷戦構造の中で、長年 封殺されてきた東アジアの人々の声が、「Yasukuni No!」というひとつ の声となって、東京で響いたことに、感慨深いものがありました。

人文字を作った明治公園には、韓国の光州事件以来、韓国の民衆美術を 支え模索し続けてきた洪成潭(ホン・ソンダム)氏 
http://sakima.art.museum/exhibitions/2005_kou.html
や安星金(アンソングン)氏なども、針生一郎氏と一緒に会場を訪れ、 美術パフォーマンスに参加していました。

また明治公園の片隅には、89年の天安門事件の際に来日し難民申請した 中国民主活動家の友人も来ていましたが、「今回の行動には大陸系の人は 参加できないなあ」とポツリと呟いていたのが印象的でした。

東アジアの政治体制も歴史的課題も一様ではありませんが、今回の靖国行動で 提起された様々な課題を、自分のテーマの中で反芻していきたいと強く思いました。

まとまりのない私的雑感になってしまいましたが、何かの参考になれば幸いです。


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