市場原理の冷徹さを見抜け〜北九州連続集会の報告 | |
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以下は、季刊写真誌『パトローネ』66号に掲載されたものです。同編集部の了解を得て紹介します。→『パトローネ』HP ―――――――――――――――――――――― 市場原理の冷徹さを見抜け「ねぇ聞いてっちゃ!北九州連続集会」 北九州市 ■ 林田英明 「改革」の美名の下に何が行われようとしているのか。民営化や市場原理は何をもたらしているのか。労働者の視点から複合的な観点でグローバリズム社会を突く5回シリーズ「ねぇ聞いてっちゃ!北九州連続集会」が2月から始まった。参加を重ねるごとに、一つ一つの問題がすべて重なり合っていることに気づかされる。 「安全第一」放棄のJR【国鉄民営化】(2月12日) 冒頭、主催する連続集会実行委員会の矢野隆志さんがあいさつ。「抵抗しなければ、ああいう(尼崎)事故が起きるんだ。殺されるんだ。闘わなければ殺す側、加害者になるんだ」と訴えた。矢野さんは国労組合員。JRに採用されず、不当労働行為の責任を清算事業団(後身は鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に求めた、いわゆる鉄建公団訴訟を起こした一人である。107人が犠牲になった尼崎脱線転覆事故は、「安全第一」を放棄したJRの体質が生み出したものと考える矢野さんにとって、労働者も「殺す側」に立たされてしまう民営化は許しがたいものと映る。 続いてDVD「レールは警告する〜尼崎事故とJR東日本」(2005年、ビデオプレス)を上映。事故の危険性がJR西日本だけではないことを証言と実地検証で訴えた労作だ。後日談となるが、レールの破断を含め現場の実態を「週刊金曜日」に証言した国労千葉地方本部の組合員3人をJR東日本千葉支社が「事情聴取」し、うち1人を「会社の信用を傷つける発言をした」として4月に厳重注意処分している。「安全」を訴えることが職務に違反するという倒錯状態に陥っているのが今のJRといえよう。 そして、闘う国労闘争団を支援する京都の会会長の野坂昭生さん(63)が講演。国労42年余で、専従9年を含め組合役員を40年間務めた。1986年の修善寺大会では労使共同宣言に反対論を唱えただけあって、その態度は一貫している。JR移行時には「員数合わせで、たまたま採用されたが、まともな仕事を(会社は)させなかった」と振り返る。尼崎事故では、かつて働いたJRで申し訳ない思いから現場に花を手向け、焼香したが、「事故の原因は民営化です」と話すと、群がっていたマスコミは次々に去り、地元・神戸新聞の女性記者しか残らなかったという。野坂さんは、JR西日本の莫大な広告料に影響を与える記事は書けないということだろうかと推察した。また、大阪支社長が事故現場にいち早く行っていたはずだとも暴露。尼崎駅の点呼に立ち会って講演する予定の支社長は、「踏切障害」の第一報を受けて保線や電気の関係者が呼ばれ100人近い労働者が待機していた9時50分ごろには大阪支社長・執行役員として事故現場におり、当然「救助に向かえ」と言うべきところ、10時半ごろ姿を消したという。事故から半月後、「しんぶん赤旗」だけが報道した。野坂さんは「JRの体質がよく出ている。すべて個人の責任か風水害のせいにして、経営や労務管理には追及の手が及ばない」と嘆じた。ここでいう「個人」とは、JR西日本の会長などではなく、遅延を取り返そうと速度を上げた高見運転士を指すのだろう。「日勤教育」を恐れ、追いつめられた労働者ではなく、追いつめたトップの経営責任が問われない組織を無責任体制と呼ぶ。「安全を守り、企業経営の体質を変えることができるのは、そこで働く労働者だ」と説く野坂さんの言葉を胸に刻みたい。 日常化する「自爆営業」【郵政民営化】(3月26日) 2007年10月、郵政は民営化される。昨年9月の衆院選は「郵政選挙」と言われ、小泉純一郎首相の戦略勝ちに終わった。「郵政民営化が国民に支持された」と息巻く側は勢いを増しているが、はたして国民に民営化の実態が理解されているのか。冷静に問い直す機会を得た集会となった。 最初に1978年の生産性向上運動反対闘争に参加して解雇された末端組合員の闘う姿を追ったDVD「郵政クビ切り物語」(2005年、ビデオプレス)を上映。全逓(現・JPU)の変遷も見てとれる。 そのJPUから今年、郵政労働者ユニオンに移った見口要(もとむ)さん(50)の話は新鮮だった。そんな現場の内実が国民に広く知らされていたら、選挙結果は変わっていたかもしれない。見口さんは若松郵便局(北九州市若松区)で集配を担当する。職場では民営化の先取りが行われ、さまざまな圧力、ノルマがすでに課せられている。 まず、人事交流という名の強制配転。その地域に精通するプロの集配労働者が不可欠にもかかわらず、同一局に5年以上いる者は異動対象とされ、本人の同意なしに配転される。別の局に行けば、地理が分からないので新人と変わらない。7〜8人の班体制のうち、2年経験者が最高という班も珍しくなくなった。「だから、誤配が増えているんです」と見口さんは解説する。たとえ町名までしか書かれていなくても、氏名だけで正しく配達するのがプロ。それは、もはや望めない。「当局も人事交流は失敗だと認めながら、トップダウンで決まったことなのでやめられない」と話す。 そして、給与制度を含めた人事評価。自己評価を事前に提出し、1年後、上位評者が評価し局長決裁する。評価が低ければ給与は減らされる。当局の基準点に達しなければ「パワーアップ研修」が待っている。それを体験した見口さんは「JRの『日勤教育』と同じ。2年続けば降格もあると告げられた」。55歳でヒラに降格すれば本俸が5万円ほど少なくなるから痛手だ。では、人事評価のポイントは何か。営業である。ゆうパックなどの小包や年賀はがきに過大な獲得目標が設定される。小包は年間100個がノルマだった。集配で手いっぱいのところ、書留で対面する時に「ゆうパックはいかが」と営業すれば時間を取られ、残業しなければならなくなる。そこで、ノルマをこなすため職員自身が兄弟や親せきに出したり、依頼して送ってもらう「自爆営業」が日常化する。こうして上がる自腹の営業成績に、見口さんの口調も自嘲気味となった。 「ムリ、ムダ、ムラを徹底的になくす」。トヨタ自動車のカンバン方式であるJPS(ジャパン・ポスト・システム)が郵政労働者を襲っている。若松郵便局ではまだ導入されていなかったが、実際にトヨタから担当者が派遣され、「1分1秒をムダにしない」長時間過密労働が全国でジワジワと広がっている。先駆けとしてJPSが導入された埼玉県越谷郵便局では集配課のイスが「ムダ」だとして取り外され、立ちっぱなしで局内の郵便処理作業をしなければならなくなった。エリアが広がり、休憩時間を削って配達するだけでなく残業も増えた労働者からは笑顔が消え、2004年5月に脳梗塞で死亡した。そんな例をはじめ、疲弊による過労死・過労自殺が増加している。 見口さんの職場でも、体調の良くなかったり能率の悪い人への絞めつけが厳しくなってきた。作業日報に平均的な労働時間を出し、それを下回る労働者は「訓練道場」に呼び出されるという話が数日前のミーティングであったという。非正規労働者の「ゆうメイト」に対する管理職の対応も見過ごせない。話し方も本職員へのそれより強圧的で、見口さんにはパワハラ(パワーハラスメント)に映る。集会では他局の「ゆうメイト」からも発言があり、管理職に逆らえば職を失う現実を語った。一日契約で失敗すれば解雇。病休も取れず、ボーナスは3万円。長期休みを取ればいったん解雇され、昇給は一からスタートする。「我々は使い捨てか」と嘆じた。配達を中心にそういう非正規労働者が増えている。長崎から集会に駆けつけた郵政労働者ユニオン九州地本委員長の大石真三高さんによれば、すでに職員全体の3分の1に上り、さらに拡大する動きだという。 「あまねく、公平に」という公共サービスの精神が、労働者を踏み台にした民営化の下で崩れ去る。国鉄民営化の“結果”を私たちは見てきた。市民のためになされる「改革」ではなかった。見かけの笑顔の裏側で着々と進められる市場原理の冷徹さを、労働者の目で見抜く必要がある。
教育チクリ、笑い満載【趙博ライブ&トーク】(4月22日) 「死ぬな!辞めるな!抵抗しよう」という副題の下、「浪速の歌う巨人・パギやん」こと趙博(チョウ・バク)さん(49)が登場。ギターとマンドリンの伴奏に矢野敏広さんを得て、軽妙なトークとともに100人の参加者を沸かせた。 大阪出身で在日韓国人2世の趙さん。本番前の音合わせの段階から熱がこもっていた。「泣いてたまるか」から始めて、アンコールの「もっこす元気な愛」まで12曲。その中ではプク(朝鮮の太鼓)を使った朝鮮なまりの「ヨイトマケの唄」や、しみじみと戦争を忌避する「教訓?」「一本の鉛筆」が聞かせた。「死んだ男の残したものは」を披露した後のトークでは尼崎事故に言及。「JR西日本は『106人の尊い命』と言うが、私たちは高見運転士を入れて『107人』と考えたい」と語りかけた。 昨年3月で河合塾の講師も辞め、歌一本で生活している趙さん。かけ持ちしていた大学非常勤講師時代、広島と長崎への原爆投下日時を学生に毎年書かせていたが、正答は100人中20人しかない。「ああ、そんなこともあったか」といった冷めた感覚が学生に漂う。趙さんは「教師が教室で雑談できていない。京都では能力給が導入され、年間20万円もの差が生まれる」と話し、本当の意味での教育がなされていない学校現場を憂えた。 映画「パッチギ!」の中で使われ、再び注目を浴びている「イムジン河」を日韓英の3カ国バージョンで味わい深く、そして軽快な「ソウルからピョンヤンまで」を熱唱。3月に訪れた板門店には北朝鮮産の焼酎まで売る土産物屋を見つけ、不謹慎だが、緊張感より笑ってしまったと振り返った趙さん。時間の短さを痛感するライブだった。 Created by staff01 and Staff. Last modified on 2006-07-08 01:49:40 Copyright: Default |