総会感想「コッタジの魅力」 | |
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正木です。
仕事の関係で総会の第1部は参加できませんでしたが、2部の特別イベントはたっぷり堪能させてもらいました。 松原さんが書いておられるように、ゲストのお二人の話がとても刺激的で、勉強になりました。二次会でもさらに交流できて、有意義な1日でした。 レイバーフェスタでコッタジの歌を聴いてから、すっかりハマっていまして、私のiPodにはもちろん「歌よはばたけ」は全曲入っています(それ以外にシム・スボンからソ・ヨンウンまで入っていますが‥‥)。 昔、某企業に勤めていて組合員(新産別傘下でした)だったころ、春闘のシーズンには労働歌なるものをよく歌わされました。 歌詞の勇ましさという意味ではコッタジの歌とそれほど変わらないのに、なぜコッタジの歌には感動してしまうのか。 2つ感じるところがあります。 ひとつは、コッタジの歌はやはり文句なくメロディとリズムが素晴らしいし、新しいということ(ある意味では歌詞にそれほどこだわる必要はないのかもしれない)。 もうひとつは反対に日本のかつての(今でもあるけど)労働歌の古さ。個々の労働者の実感からかけ離れた歌詞。 例えば「赤旗の歌」の「高く立て赤旗を/その影に死を誓う」などといった大時代な歌詞や、自らの賃金闘争にしか関心がなく連帯など考えない組合が「我等は叫ぶ沖縄よ/我等のものだ沖縄は」などという白々しさ。 つまり自分たちが心から歌える歌ではないということだと思います。 コッタジの『1枚のテレホンカード』という歌を見ても、自分たちの心情をそのまま表現しています。そういう歌が日本にあるかどうか。 恐らく日本のフォークソングの初期や今の愛・恋中心のポップスはそれに近いのかもしれないけど、残念ながら労働とは切り離されています。 今はもう、荒木栄の時代ではありません。ニートやフリーターでも自分たちの歌として歌える、そういう歌が必要なのではないでしょうか。 Created by staff01. Last modified on 2006-03-06 15:22:41 Copyright: Default |