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メーデー in ベルリン
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メーデー in ベルリン

ドイツでは5月1日は「労働者の日」で祝日です。 DGB(ドイツ労働総同盟)が午前中に主催したデモ(写真)には、 約2万5千人が参加しました。参加者数は報道関係者からの情報です。 このデモは、ベルリンで唯一のメーデーらしいデモといえます。 ほかのにもいくつかデモが行われましたが、ものものしい雰囲気で 一触即発の緊張感があり、そのうちのひとつは夜8時頃警察と衝突しました。 車が何台もひっくりかえされ、火をつけられ燃え上がっていました。 投石の様子などが、繰り返しテレビのニュースで流れています。 このデモの暴動騒ぎは、毎年恒例なので、付近の店や住居などは シャッターをしっかりおろすなど、事前に対応策を取っています。 また、数年前の5月1日に放火されて焼け落ちたスーパーの跡地が 今だに残っていて、住民はそこを通るたびにその日のことを思い出す ということでした。

ドイツには、聖ヴァルプルギスの祝日前夜に魔女たちがブロッケン山 に集まって焚き火を囲んで集会をするという言い伝えがあります。 そして、メーデー前夜の4月30日が、ちょうどこのヴァルプルギス夜祭 と重なっています。伝統復古の傾向(一口メモ参照)に便乗して、ここぞ とばかりに日頃の鬱憤をはらそうと集まってきた若者たちが、キャンプ ファイヤーのような大きな焚き火をして派手に騒ぐのがこの10年ぐらい 毎年恒例になっているということです。ベルリンでも昨夜、グロースファ イヤー(大きな焚き火)を決行した若者たちがおり、警察ともめたという ことでした。このような雰囲気の中でメーデーを迎えるので、人々の気持 ちも高揚しているのかもしれません。北ドイツでは長い冬を越した今、夏 に向かって一番気持ちが明るくなる時期でもあります。

(一口メモ) 旧東ドイツ地域では東西ドイツ統一後、古い宗教的伝統が復活し てきたそうです。社会主義体制下では、神秘的な宗教行事を表立 って行うことはできませんでした。ドイツでは「東ドイツは西ドイツに 飲み込まれた」と表現されます。旧東ドイツで育った人々の中には、 アイデンティティの喪失に苦しむ人も少なくありません。旧西ベルリ ンの一部の人々は、今だに東ベルリンの人々に対するあからさまな 嫌悪の言葉を日常的に口にすることがあります。もちろんこれは個 人的な人間関係のもつれなどが原因となっていることもあるので、 単純に東西ドイツ統一に結びつけることはできませんが、ベルリン にはまだなお東と西の隔たりが心理的にも大きな影響を及ぼしてい るのだと私は感じています。実際には、芸術の分野などでは旧東ド イツで育てられたものが、今もベルリンの文化を支えているといった ような現実もあり、必ずしも西ベルリンばかりが優位だとはいえない のですが。こういった状況の中で、自己の存在意義を確する手段とし て、伝統復古が利用されているように見えます。

ベルリンから 早川みを子


Created byStaff. Created on 2003-05-02 20:56:52 / Last modified on 2005-09-05 02:59:16 Copyright: Default

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