第14話 エピローグ:センセイ卒業‥‥の巻 新戸育郎 (2008年6月15日掲載・連載の一覧はこちらへ。全14回終了です)
自分で見つけた塾も退職を余儀なくされ、結局はもとの(株)ゼニコがらみの新進ゼミナールに細々と通う日々が続いていた。それもやがては春期講習、夏期講習などの特別ゼミだけの担当となり、いよいよデモシカ先生にも終わりの日が近づいて来た。
《「センセ、アリバイ工作手伝って?」》
高2の通常授業。さやかが無断欠席した。「センセ、愛してる?」などといつもべたべたしてくる子だ。
この塾では、無断欠席などの場合、担当講師が自宅に電話をして理由を聞いたり、問題があれば相談に乗ったりしなければならないという規則がある。このときは前の週に引続き2度目だったので、黙認するわけにも行かず、家に電話した。母親はおらず、さやかの弟らしいのが電話に出た。要領を得ないので、本人が帰って来たら連絡するようにという要件だけ伝えた。
授業が終って帰る途中、ちょうど駅方向からやって来たさやかと、その友人3人とに出くわした。
「なんで勝手に休むんだよ。家に電話したぞ」
「え〜、センセ、やめて、それやめて〜」
「やめてったって、もうしてしまったよ」
今にも泣き出しそうな様子で、「センセお願い。先週は出席したことにしてぇ。そうでないと家に帰れないよぉ。何でもするからセンセ〜、お願い〜」
うその電話をしてほしいというのだ。しかしこっちは曲がりなりにも監督責任がある講師。保護者に対してそんなうそをつけるわけもない。バレたりしたらまずこっちがクビだ。
「何でもするって言ってるから、センセ、いただいちゃえば?」と男の子が茶々を入れる。
生徒との信頼関係は大事だし、味方にはなってやりたいが共犯になることはできない。「自分たちで解決方法を考えろ」と言って、しばらく彼らの議論を聞いていた。
結局、「先生はお母さんと直接話してはいないのだから、誰かが先生の振りをしてお母さんに電話をすればいいじゃん」などという結論になった。何てことを考えるんだろう。
私は「君らのやることに干渉はしないが、今の話も聞かなかったことにするからな」と言って立ち去った。場合によっては欠席を遅刻に直しておいてやってもいいかな、と思っていた。
ところが翌日になって、母親が心配して塾に電話をして来たらしい。そのために無断欠席の件はバレてしまった。
となると成り済ましの偽電話作戦を彼らは結局どうしたのか、気になってしようがない。
翌週の授業で、出席した一人に聞いてみると、男の子が先生の役で電話したのだが、緊張してどもってしまい、すぐにバレたのだとか。
まったくまだ子どもだなぁと思わず笑ってしまった。
あとからさやか本人もやってきたので聞いてみたら、結局は全部白状して、その結果母親が11時までの外出を許可したのだという。大作戦の失敗も怪我の功名で、一件落着ということらしい。
《未成年に酒を飲ませて‥‥》
そのさやか、それからしばらくして、家の事情もあって新進ゼミナールを辞めた。
音沙汰もなく、私は細々と講師を続けていたが、半年も経った頃だろうか、いきなり会いたいと言って電話がかかって来た。どういうつもりなのかはよくわからない。しかしまぁ悪い気はしないので、飲みに連れて行ってあげるよと約束した。このとき彼女、17だったか18だったか、未成年であることには間違いない。ただし、私が誘う以前に、彼女は酒もタバコも経験済である。
下心と邪推される向きもあろうが、そこはまぁ、ご想像におまかせしておく。
都心の有名な新興遊興地で、ビールなどを飲みながら、私は彼女の真意を探りつつ会話をしていた。もともとおしゃべりな楽しい女の子だから、それ自体は楽しく‥‥、しかし今ひとつ、なんで会いたいと言い出したのかなどはわからないまま取り留めない会話を楽しんでいた。
いつしか話題は男女の話。それも「私、不倫されるのはいやだけど、するのは平気だよ」とか、「先生んち電話して、女の人が出て来たらなんて言ったらいいの?」などとだんだんきわどくなってくる。
なんだろ、誘惑しているつもりなんだろか。普段のちょっとませた感じからして、ひょっとして風俗で働いたりしているのではないかなどとも思ったが、確証はない。
やがて時間が経ち、何ということもなくお開きになった。駅でバイバイと別れる。頭の中には「?」マークが残ったままだ。
それからかなりあとになって、生徒の一人がふと漏らしたのを聞いた。「あの子、ちょっと問題ありなんだよね‥‥」
話を聞いて、疑問は一挙に解決した。つまり「エンコウ」。
そうか、彼女はいわゆる援助交際の相手を探していたのか。いちばん手近なところで「愛してる」新戸センセに目をつけたというわけだ。
選んでいただいたのはうれしいが、あいにく派遣講師には愛人にお小遣いを上げられるような資力はない。そこを彼女は読み誤ったようだ。
《ここらで懺悔も》
女生徒の話のついでに、私自身が授業を楽しみにしていた例の美少女のことも話しておこう。
ルックスといい勤勉度といい頭の良さといい、非の打ち所のない彼女。講師の誰もが大学受験には太鼓判を押していた。ただ、唯一の問題点である身体の弱さで、しばしば欠席することがあったから、受験当日に病気などということにならなければ、というそれだけが周りの心配のタネだった。
私は彼女に英語を教えていたが、吸収が速いからすいすいと進む。テキストだけでは面白くないので、たまたま買った岩波ジュニア新書の『新しい英文読解法』を彼女に紹介したりもした。この本は高校生程度を対象とうたってあるが、なかなかどうして取り組み甲斐がある本だ。
で、ここらで正直に告白をしておかなければならないだろう。
私は彼女に間違った英語を教えたことがある。
自分自身、ちょっと疑問を感じつつも、その場の勢いで説明してしまった。あとでじっくり考えたら、あ、やっぱりこりゃマズい。訂正しなければ‥‥。
しかし病弱な彼女はその後教室に現れることなく、間違いの授業が最後となってしまった。非常に悔いが残った。
ただ、昔読んだこんな話が、私を多少救ってくれもする。
同時通訳の元祖、小松達也氏と、英語教育の大家、バーナード・チョシード氏との対話だ。小松氏が、「日本人の英語教師は間違いを教えてしまわないかと恐れるのだが」と持ちかけると、チョシード氏は「生徒が教師を乗り越えるのが教師の最大の成功。ピアノの講師が、自分よりもうまくなる未来のスターを育てるようなものです」と応じる。
ネイティブでない限り、外国語を教えるには限界がある。しかし生徒は教師を乗り越えて成長する。それを信じろということだ。
もちろん、これを自分のミスに当てはめるのは我田引水、自己弁護ではあるのだが、恐らく彼女は、あのときの私のミスなどは既に気づいて、乗り越えて行ってくれたのだと信じたい。
それから
しばらく経って、彼女は横浜の某有名女子大学に合格した、と風の便りに聞いた。
《そして、その後》
この連載で綴って来た様々な遍歴が終ってから、すでにかなりの時が経過している。
ふと思い立って、インターネットで「新進ゼミナール」を検索してみた。ところが何も引っかかって来ない。
ずっと気になっていたが、たまに乗る電車からかつての予備校の建物が見えるはずだと思い出して、あるとき、目を凝らして眺めてみた。と、飛び去る景色の中に、全く知らない名前の看板を掲げたあの新進ゼミナールの建物が見えた。
予備校であることは確かだ。しかしネットで調べても、塾長の名前は出るがその塾の名前はない。ということは、倒産でもしたか、吸収合併でもされたのだろうか。
もうひとつ、旭日教育研究所は今どうなっているのだろう。
たまたま近くまで行く用事があったので、ついでに様子をうかがいに行ってみた。あのおばさん先生には出くわしませんように‥‥と思いながら。
そうそう、この辺りだった‥‥と道路の角を曲がった時、目に入って来たのは「旭日教育研究所」ではなく、「長寿気功整体療法院」というでかい看板だった。
さもありなん。おそらく塾長はすでに鬼籍に入られたのであろう。あの塾長なくして塾が継続できるわけもない。冥福を祈りたい(ご健在だったらスミマセン)。
色々なものがどんどん過去になっていくという印象を受け、すこし寂しくなった。
しかしもちろんあの講師派遣会社株式会社ゼニコや、首都圏大手の学習塾チェーン、金福学園は今もなおしぶとく生き延びている。
(おわり)
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Created on 2008-06-14 11:07:48 / Last modified on 2008-06-14 11:15:44 Copyright:
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