第9話 お仕事は崩れ行く砂山のごとく…の巻 新戸育郎 (2008年5月11日掲載・連載の一覧はこちらへ。毎週日曜日更新)
1週間に8クラスを受け持つという過密スケジュールで始まった派遣講師業も、1つ減り2つ減り、とうとう残り2つというところまでになった。教育に悩む以前に、こうなると生活のことも心配だ。さて新戸センセはどうするつもりか‥‥。
《悩みつつ学ぶ‥‥》
唯一生き甲斐だった(とは少々大げさか)英語のクラスもなくなってしまい、小学生の理科と中学生の国語だけになった。どちらも、教える立場としてはもうひとつ気乗りしないものだ。
理科は、自然科学なのだから本来きちんと自然を観察して、その結果をもとに頭の中で抽象化するのが筋。ところが予備校というのは試験の結果さえよければいいのだから、のっけから頭の中で、太陽は夏至の日にはこうなって南中高度はこうで、月は夕方3日月が見えて4日たつと上弦の月になって、といわば架空の自然現象を作り上げる。
教室のなかに閉じこもっていないで空を見上げれば、今自分たちが勉強しているその実物がちゃんとそこにあるというのに。そういう「教育」に手を貸しているというのは、生活がかかっているからとはいえ気分のよいものではない。
せめて少しでも実物に触れてもらおうと思って、ちょうど単元が日食のところにきたので、昔々オーストラリアの日食観測ツアーに行った時撮影した皆既日食の写真を教室へ持っていった。
もともと騒がしいクラスなので心配はしていたが、案の定きゃーきゃーと大騒ぎ。その写真まだ見てない。こっちへ回せよ。あたしまだ見てないもん‥‥。
写真のうち1枚は私が望遠鏡の前で準備しているところが写っている。子どもたちはそれを目ざとく見つけて、これ先生の若いときの写真? えー、ちょっと見せて、待ってよ、‥‥と、引きちぎられそうで心配した。
職員室では、へぇご自分で撮られたんですか、先生もなかなか奥が深いですねえ、などと感心している。でもそんなところで感心をする方が本当は間違いではないのか。紙の上だけで説明して教育したと思ってる方がよほどおかしい。
この5年生のクラスには、教え始めた頃から終わりまで、ずっとその騒々しさに悩まされ続けた。生易しい騒々しさではない。ほとんど人間の忍耐力の限界に挑戦させられるほどの騒乱だ。
ある日、ほとほと疲れ果てて、私は予定したカリキュラムをかろうじてこなすと、よろけるような足取りで職員室にたどり着いた。
と、事務のS女史、いかにも困りますというような顔つきと口調で、「先生、5分早いんですけどぉ‥‥」
私はまだチャイムがなっていないことに気づいていなかったのだ。もう疲労こんぱいだった。
5分くらいいいじゃないかと言いたかったが、金を取って教えている学院としては、5分早く終る先生というのはやはり不良品なんだろう。
私のあとにバトンタッチして次の授業を受けもつ専任の男性講師などは、このうるさいクラスに対して完全にチンピラやくざ的態度で接していた。ドアは脚で蹴飛ばして開け、「オラオラオラァ〜、てめぇらぁ」と叫びながら教室に入って行くのである。果たしてそれが効果ある方法なのか、はなはだ疑わしいのだが。
しかしこのスクールの室長はなかなかできた人物だった。悩みを打ち明けるときちんと話を聞いてくれ、助言してくれた。
「この騒々しいクラスを何とかしたいんですが、暴力はいけないし、かといっておとなしくしていれば彼らはつけあがるばかりですからねぇ。ガツンと言ってやりたいんですが、私には前科がありますし‥‥」
と、以前「お前らは最低だ」発言をしてクビになったこと(第5回参照)をチラと言った。すると、あぁ、あれはあなただったんですかという眼をして、
「先生ね、比較をしたでしょう。誰それより悪い、と。それがいけないんです」
グサッと胸に刺さった。確かに「お前らは小学生並だ」みたいな言い方をした。う〜む、単に叱ったこと自体の善し悪しではない、比較がいけない‥‥か。
親が文句を言って来たこと以前に、私のあの発言で、彼らは自尊心を傷つけられたのだろうか。
言われて初めて気がついた。確かに頭の片隅にもなかったことだ‥‥。
そして室長は、叱るときはこうやるんですよと言いながら、その時手に持っていた出席簿の分厚いボードで、目の前の机を思いっきりバーンと叩いた。私はびっくりして飛び上がった。
「これなら生徒に手を出したことになりません。傷むのはせいぜいボードと机だけです」
勉強になります〜。
《他の学園も探しつつ‥‥》
このころから私は、ゼニコとは別に、どこかよさそうな塾講師のあてはないかと探し始めていた。週に2回程度の仕事では、身体は楽だが生活の方が苦しくなるばかりだ。
求人広告に目を光らせて、家庭教師の派遣会社で面接を受け、AKゼミナールやAGセミナー、晩稲塾だの手当り次第に願書を送るが、反応はかんばしくない。
一方ゼニコがらみでも、今までメインだった金福学園とは別に、ときどき代行や他の塾の仕事も入るようになっていた。
そのひとつが我が家から比較的近くて楽だったダイワゼミナール。
こちらは中1の国語。今までこんなもんだと思ってやっていた金福学園とは生徒の扱いが全然違っていた。金福では各クラス号令係というのが決められていて、講師が入って行くと「起立、気をつけ、礼」を言うことになっていた。ダイワではそういうのは一切なく、講師は単に「こんにちわー」というだけ。
決められた授業時間以外はどこで何をしていようが構わず、タイムカードもない。
手を抜くつもりはないが、息抜きにはなりそうだと思った。
しかしここもおしゃべりが多く、授業に苦労するという点ではあまり変わりはなかった。2クラスあるのだが、前半の子どもたちは低いレベル。書いた答えをいわないのでどうしたのかと思っていたら、読めないのだった。ほとんど文盲に近い子がいて驚く。
後半は高いレベルの子で、おしゃべりはひどいがはっきり自己主張もするのは、まぁいいことなんだろう。
あるとき、後半のクラスの終業時刻を勘違いしたことがあった。
前半が6時半から7時50分。後半は8時から9時20分なのに、前半の6時半始まりというのが強く意識にあったせいか、8時半に始まったと錯覚して、9時50分に授業を終るつもりでいた。20分過ぎに生徒がざわざわし始め、「え、50分じゃなかった?」「20分じゃなかったの?」などというやりとりがあって、やっと気がついた。
生徒の一人、「センセ、もうボケかよぉ!」
当たっているだけに、まったく返す言葉がなかった。
授業を進める中で、一人の生徒Nがみんなからいじめを受ける傾向にあるのが見えて来たことがあった。これに関しては常に気をつけ、時には強く言ってもみた。ただN自身は相当に依怙地で、かなり骨があるように見受けられたから、余計な干渉はせずなるべく見守るようにしていた。
いじめ事件があるたびに、なぜ先生や親に相談しなかったのかという意見がよく聞かれる。私には、子どものことをまったくわかっていない発言としか映らない。
その子自身に自尊心があるからこそ、安易に他人に頼ろうとしないのだ。そこを尊重しないでどうするのだろう。いじめの解決と称してよけいに子どもの自尊心を傷つけるような行為をしているということに気づかなければ、さらに問題を解決困難にするだけではないか。
このクラス、うるさいことは相変わらずだったが、無理に黙らせようとするのはこちらが教師としての威厳を保とうとする気持ちがあるせいかも知れないと考え直し、少々うるさくても放っておくことにした。そうすることで多少気持ちも軽くなった。
で、厄介ながらも割と楽しく授業を進められていたそのダイワゼミナール、5ヶ月ほど続いたところで、例によって突然「お仕事なくなりました」となる。万事この調子。
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Created on 2008-05-10 18:42:40 / Last modified on 2008-05-10 18:47:48 Copyright:
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