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LNJ Logo 松本昌次のいま、言わねばならないこと・第7回
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第7回(2013.10.1) 松本昌次(編集者・影書房)

「非国民」の光栄に輝く一冊

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい――これは、何かのスローガンではない。本の書名である。さらにサブタイトルもある――正義という共同幻想がもたらす本当の危機。著者は森達也氏。8月22日、ダイヤモンド社刊。四六判並製380ページ、定価1600円+税。この本は、2007年10月から、版元のPR誌「経」に連載された「リアル共同幻想論」をベースに、加筆・修正・編纂されたものである。連載が始まってしばらくあと、同社のウェブサイトに転載するようになったが、途端に、ネット上で「鬼畜」とか「非国民」とか「死ね」などの罵声を浴びせかけられる光栄を担った一冊でもある。

森達也氏といえば、オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』『A2』の監督として、国内外で各種の賞を獲得、一躍名を馳せ、『A3』や『死刑』など、作家としてもめざましい仕事をつづけている方だが、わたしは、その「めざましさ」ゆえに敬遠して映画も著書もほとんど知らず、せいぜい、月刊誌「自然と人間」の表紙裏に連載しているコラム「誰が誰に何を言ってんの?」を愛読してきたに過ぎない。(ちなみに「自然と人間」は、毎号すぐれた内容である。)森氏がこれほどの「非国民」とはつゆ知らず、不明をお詫びするほかない。

さて、一読、わたしに「非国民」であることへの限りない勇気を与えてくれたこの本の内容とはどんなものか。目次をそのまま列記すればいいようなものだが、冒頭の、森氏の二、三篇の主張をカッコなしで引用しつつ、適宜、わたしのコメントをつけ加えて、紹介したい。

まず、書名になっている死刑の問題からはじまるが、先進国ではいまやアメリカと日本のみとなった死刑、しかも絞首刑という残酷な方法を今なおつづける日本の死刑制度は、まるで被害者遺族のためにあるかのごとくだと森氏はいう。同感である。わたしに言わせれば、遺族のために国家が昔ながらの仇討ちをしてあげているようなものである。死刑廃止は日本人の心情にそぐわないと、一時的に国家を支配している連中は言いつづけているが、70年ほど前、戦争にひたすら心情を捧げた日本人は、敗戦を告げるツルの一声で、あっさり平和の心情に転換した。誤った心情などは、正しい制度で改まるものなのだ。

つぎに森氏は、北方領土・竹島・尖閣諸島などの領土問題にふれ、無用な諍いや争いを回避するためならば、少しばかり領土や領海が小さくなったっていいじゃないかという。同感である。わたしも自国と他国の人たちの命を大事にしたいからである。共有・共存の道だってある。尖閣諸島でいきり立つ石原慎太郎氏は、『俺は、君のためにこそ死にに行く』などという映画を2007年に作ったとのこと。どんな映画か知らないが、勝手にあんた一人で死にに行って欲しいものである。

あとは一瀉千里、主要な森氏の主張やテーマを摘記する。肉は食べていいが、動物の殺され方を知ろう。タイガーマスクは薄気味悪い善意。ハンセン氏病に対する無知と偏見は過去形ではない。3・11以後、メディアに広がる「がんばれ」や「絆」はグロテスクだ。メディアによって戦争が矮小化されている。原子力神話に加担したことを詫びる。監視社会の蔓延。解明されないオウム真理教事件。互いに忖度し合いながら暴走する集団。「テロと戦う」とは何か。暴走する資本主義と民主主義。拉致問題の解決は日朝の国交正常化しかない。中国における戦争犯罪の証言。北朝鮮のロケット発射を「事実上のミサイル」と断定する不思議。過去の過ちを認めない日本――etc。

最後に森氏は、戦後、憲法九条を守り抜いてきたことを「誇り高き痩せ我慢」といい、次の文章で本書を閉じている。――「誇ることはひとつだけ。不安や恐怖に震えながらも、歯を食いしばって世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は何よりも誇りに思う。」

「非国民」と罵倒した人たちよ、この声を聞け、といいたい。


Created bystaff01. Created on 2013-09-30 15:08:54 / Last modified on 2013-09-30 15:12:09 Copyright: Default

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