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韓国:無労組サムスン、17年間海外派遣した労働者を帰国後に解雇
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無労組サムスン、17年間海外派遣した労働者を帰国後に解雇

5年働いたサムスンSDIを解雇されたイ・マンシン氏(52)

イ・ミンジン記者 2014.01.27 11:07

1月21日、金属労組サムスンサービス電子支会 蔚山分会は、蔚州郡三南面にあるサムスンSDI正門前で、イ・マンシン氏の不当解雇撤回宣伝戦に連帯した。

▲21日サムスンSDI正門で労組設立と不当解雇撤回を叫ぶ労働者の連帯闘争があった。(c)イ・ミンジン記者[出処:蔚山ジャーナル]

イ・マンシン氏(52)は1987年4月に除隊して半月後にサムスンSDIに生産職として入った。 12時間交代勤務をしていた時だ。 李氏が入社した年の8月に全国的に労働者大闘争が起きた。 李氏も労組に参加した。 李氏と同僚は会社の幹部を追い出して自ら勤務組をつくって働き、労組設立を叫んだ。

11日間会社を守ったが、会社は「解散しなければ公権力を投入して、全員捕まえる」として労組の設立を防いだ。 家族と知人が同僚を一人二人と抜き出し、労組は最後の賛否投票をしてイ氏をはじめとする17人だけが会社の中に最後まで残った。

17人の労働者はLPGタンクの周辺にアセトンをまいて工場と共に死ぬという覚悟で残った。 警察は会社を鎮圧して労働者を追い込み、イ氏は「一緒に死のう」と思ってマッチを擦った。 李氏はその時を思い出して「ガスバルブを開くと、最初に出てくる気圧でマッチが消えた。 初めてなので私たちは知らなかったが、警察は包囲網を狭めていた」と話した。 残った労働者は警察に捕えられた。その後、イ氏の会社生活は険しかった。

イ氏と労組を作ろうとした4人衆は、3回も部署が変わり、鬱陵島、機張などのさまざまな地域に転勤になった。 勤務期間も短かく、その上工場がない所に行った。 李氏はブラウン管再生工場で1年、真空管を作る工場で1年5か月、鬱陵島で一週間を過ごしたり、日本にあるサムスンSDIの下請け業者から真空技術を学ぶという名目で3か月間勤務しなければならなかった。 その間に残りの3人は会社と合意して退社したが、イ氏は労組設立の夢をあきらめなかった。

会社はイ氏を17年間、海外の勤務地に派遣した。 イ氏はマレーシアに5年間駐在勤務した。 家族も一緒に行ったが、そこの職員の間でイ氏の家族はイジメられた。 李氏が会社に韓国に戻してくれという請願を入れると、会社は辞表と労使参加をしないという内容の覚書を条件にした。 李氏は労使参加をしないという覚書を書いて現場に復帰を要求したが、韓国に戻ると1年間、待機発令を受けた。

イ氏はその頃、労使協議会選挙に委員に立候補することを準備していた。 当時、常務が「覚書の内容を破ろうとしているのか」として労使介入を防いだ。 李氏は覚書は書いたが現場に復帰させると言った会社も約束を破ったと抗議したが、会社は「あなたが現場に行くと騒々しくなる。事務室に行のならすぐ勤務させる」と答えた。

会社はイ氏を労使要注意人物と見て、また海外に派遣した。 イ氏は中国勤務を拒否して民主労総に連帯を要請した。 「解雇されても中国には行かない。一日に20人ずつ連帯闘争に来てくれ」と要請したが、民主労総は「一応、会社に残るのが良い」と連帯を拒否した。 李氏はさびしかったが、中国行きを選んだ。 李氏は12年間中国で働いた。 中国生活も李氏にとっては監獄と同じだった。 初めの2年は几帳面な李氏が不良を選ぶと不良率が上がるとし、管理チーム長が仕事から抜いた。 その後10年間、李氏は毎日出勤して、インターネットで会社の中を徘徊し、食事を食べて座り、家に帰る生活をした。 現地の労働者たちの間で「イ氏は李健煕(イ・ゴニ)の親戚」という噂が飛ぶほどだった。 10年以上駐在勤務する生産職もないが、他の韓国人と違い、会議にも入らないイ氏は変だった。

この時期、イ氏と夫人は鬱病も病んだ。 会社の中を歩くと変電室のそばに木があった。 ベルトを木にかけてレンガ二つに乗れば、まさに死ぬ場所だった。

イ氏は妻に「私は死んでも会社の中で死ぬ。 私の死体が会社の外で発見されたら絶対信じるな」とまで言った。 イ氏はその時を考えると今でも血が逆流すると目がしらを赤らめたが、三人の子供のことを考えれば耐えなければならなかった。

10年経って韓国に帰りたいというイ氏に会社の幹部は「10年ならばここの人になっただろうね。ここで暮らせばどうか」と話した。

イ氏が会社内の職員掲示板に「格子のない監獄生活から救ってくれ」という文を載せると、会社は警告措置した。

12年経ち、社長が変わり、イ氏は蔚山工場に戻った。 これまで海外に出て行っていた「要注意人物5人」は会社をやめていた。

会社の役員がイ氏に飲食を提供して金の話を始めた。 「家族とアメリカで暮らすといくらかかるか」という質問にイ氏は 「家を買うのに5億、店を出すのに3億程度、10億ぐらいは必要ではないかと」答えた。 質問は陥穽だった。

その役員はイ氏が会社をやめる条件として金を提示したとし、録音ファイルを証拠に出してイ氏を解雇した。 2012年10月に解雇されたイ氏は、恐喝脅迫と常勤者暴行、勤務怠慢が解雇の理由だったが、認められなかった。 イ氏はすぐ民事で解雇無効訴訟をして1人デモを始めた。 会社は李氏を恐喝脅迫罪で刑事訴訟した。

イ氏は刑事訴訟で無罪判決を受けたが会社は控訴し、民事は来月13日に判決が出る。 李氏は「会社が解雇の理由だと主張する恐喝脅迫罪が無罪になったので、解雇無効訴訟も勝つだろう」と話した。

李氏は20日から一月間、会社の正門前で不当解雇取り消しと労組設立を要求する宣伝戦を行っている。

付記
イ・ミンジン記者は蔚山ジャーナル記者です。この記事は蔚山ジャーナルにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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