韓国:私を逮捕せよ、私は行かない | |||||||
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私を逮捕せよ、私は行かない[寄稿]竜山惨事葬式の件でまた召喚状を受けながら
ソン・ギョンドン(詩人)/ 2010年04月19日9時29分
2010年3月29日。また警察から召喚状を受け取った。内容を見てあきれ、むなし い笑いが出てくる。そして即座に沸き立つ怒りと冷たい戦意を感じた。申し訳 ないが、私はこの冷たい戦意を愛する。日常にさまよい、自分でもどうしよう もない矛盾の沼に落ちもがいく時、歴史への懐疑と煩悶が、暮れなずむ山陰の ように重くのしかかる時、今私はどこに行けばいいのかわからず、無力を感じ る時、ときどき私を緊張させるこの冷たい戦意を私は愛する。 ▲2010年1月9日行われた竜山惨事汎国民葬のようす[出処:チャムセサン資料写真] 内容は、『2010.1.9.ソウル駅からナミルダンまでの道路で竜山火災死亡者葬儀 関連の秩序維持勤務者に暴力を行使し、警察官の公務執行を妨害』した件だっ た。なぜ当時ナミルダン前の道路を無断占拠して追悼詩を朗唱しながら、「崩 れるべきは、貧しい人々の3者連帯ではなく/あの資本のカルテル、あの権力談 合/光化門交差点の独裁者の青い家だけ」、「あの抵抗の櫓闘争の櫓連帯の櫓/ 解放の櫓」を私たちがまた積もうと反社会的決起を宣伝扇動した罪ではないの か。一般の公務執行妨害を越え、この不良な資本の体制を押し倒し、もうひと つの世界の夢を見ようと叫んで宣伝扇動する私の詩集はなぜ弾圧しないのか。 これを送ってきたのは、あのすごい竜山警察署だ。2009年1月20日明け方。理解 できない程に電撃的な鎮圧作戦の中で、同僚1人と撤去民5人を焼き殺したあの 警察署だ。それでもまばたきひとつせず、たった一度も謝罪もせず、家族と司 祭と文化芸術家と無数の市民を昨年一年中踏みにじり、連行して行ったあの警 察署だ。いつも一番先に出動し、作戦に出てくるのは用役チンピラたちで、通 報すると平然とやってきて用役の向い側で立って眺め、不法は連行すると言っ て無力な撤去民と市民を脅したあの用役チンピラの堅実な補完勢力だった竜山 警察署だ。司祭と、時々やってくる議員の先生には謝罪しても、本当の国の主 である撤去民と市民は何か虫か獣のように見たあの竜山警察署だ。宗教家が来 て議員先生が動き始め、各界の知識人が立ち上がり、また汎国民的な連帯の波 ができるまで、汚らしく簡易トイレまで持ち去り、焼香所前の遺影と追慕塔を 強奪し、高性能スピーカー車を止めて毎晩『連行』を繰り返すばかりで、追慕 文化祭を妨害したあの竜山警察署だ。彼らの前で私たちはいつも自分が人では ないような、私はこの国の国民ではないかのような侮辱を受けなければならな かった。 それも他の日でもない葬式の日の件とは。これがいったい話になるだろうか。 謝罪するだろう、良心はあるだろう、そう思って1か月、2か月が経ち、1年経っ ていた。五つの遺体を冷たい冷凍庫に閉じ込めたまま、遺族を含む多くの人々 が道路で一日を送らなければならなかった。一年中、韓国社会のすべての良心 ある人々が罪悪感と負債感と申し訳ない気持に苦しまなければならなかった。 その中で数百人がまた警察署に連れて行かれた。数万のロウソクが芯の最後ま で燃え、数百万の足が『竜山惨事駅』でおりなければならなかった。反省しな い少数の権力のおかげで多くの良心が残念な気持で、急ぎ足で歩かなければな らなかった。 結局われわれは勝ちもしなかったが負けもしなかった。『私人間の紛争』だか ら国家と政府は関与できないという李明博政権の片意地は、この無数の連帯の 波の前に崩れるほかはなかった。充分ではないが、始めて国務総理が大統領と 政府の代わりに『遺憾』の意を示し、遺族に『慰労』を伝え、龍山4街の撤去民 にも最低の補償をする線でまず合意し『葬儀』してあげられることになった。 実は残念だった。圧力釜の中の蒸気のように、胸の中がグツグツと沸きあがっ た。すべて十分に解決できなかったためだ。これから数十年はびくともせずに 正常な都市庶民の共同体住居空間を再開発/再建築/ニュータウン開発という名 で投機建設資本に差し出す『殺人開発の中断』も、関連法の制度整備も、現代 版の私製傭兵に他ならぬ用役チンピラの廃止も、投機開発ではなく生態的に持 続可能な共同体社会建設についての議論も、彼らの論理のとおりなら『私人間 の紛争』に介入して貧しい自国民に対テロ戦を遂行して一部の権力層と資本の 傭兵に転落した国家公権力に対する責任も問われなかった。今も相変らず法廷 で撤去民は隣を燃やして殺した『過失致死』の重犯罪者、社会不安をたくらみ、 法秩序を蹂躙した猛烈左傾分子だった。相変らず法廷でわれわれは不純な目的 で介入した第三者であった。 それでは望まないことだったが誰もが一瞬にして突然『都心テロリスト』にな り、『社会不穏勢力』になり、『不平不満者』になり、効率のない無駄な人生、 ゴミ人生、寄生人生になるこの狂暴な社会体制への全面的な反省も形成されな かった。少数の資本家とその果実の一部を分け合って食べる寄生族ではないこ の社会の大多数の人々は、実際、人ではないのではないか。国民でないのでは ないか。侮蔑の中で生存の崖に追いやられた860万非正規職は人なのか。一生働 き、この社会のすべての食べ物を生産した『農夫』は人なのか。自分の家族名 義の家一軒を、店一見持とうと一生働いても、賃貸で暮す人々がこの国の国民 なのか。『まだだ』とあなたは言うかもしれない。だがあなたが突然撤去民に なった時、整理解雇者になった時、3か月、6か月、長ければ2年以内の非正規職 に追いやられ、突然携帯メールで解約される時も『まだ』という副詞を使える だろうか。警察庁に追しかけても、法廷に追しかけても、労働庁に追しかけて も、誰もが正しいのはあなたではなく所有して追い出した者だと感じた時も、 あなたは『まだ』という副詞を使えるだろうか。 このように本当に重要な質問に答がない現実の竜山は絶えず繰返される。数十 年働いた工場の屋上を最後の櫓と思って上がった双竜車労働者に戻ってきたの は、竜山の空を飛んだあの作戦用ヘリコプターとこん棒と軍靴だった。竜山烈 士の葬儀もできなかった時、竜山5街の撤去民はもう上がる所のない生存の櫓に 首をくくったし、何もうまく解決できない竜山の状況に絶望した水原シン洞の またある撤去民は、占拠して入った空き家で突然死してしまった。再び強制撤 去に対抗して弘大前のトゥリバン建物に入ったユ・チェリム氏夫婦の孤独な占 拠はもう100日を越えた。撤去現場ではない生計の根拠地から追い出された労働 者の状態はさらに悪く、数年以上闘っている所だけでもその数は推し量れない。 こんなつらい現実も腹立たしいが、また出頭しろという。最低の良心も、関係 者が問題を解決する気もない。1年間あらゆる社会的な出血を味わい、残念な葬 儀をした日だった。百歩譲って狭苦しいソウル駅で告別式をして、誰もが謹ん で気持を整える日だった。送る日だけは静かに、厳粛にお送りしたかった。だ が政府と警察はその日も最低の礼儀を破った。明洞聖堂に閉じ込められていた 常駐者たちが少し離れた場所で少しの間葬儀の礼を尽くすことも認めず、摩擦 を誘導した。重武装した戦闘警察を配置して追悼客を刺激し、遺影と幟が葬儀 の行列に出ることを阻止した。無理に車線を減らして葬儀の行列を刺激した。 路祭に使うアンプ車両を漢江大橋弁で抑留し、重武装した兵力が葬儀の行列を 防いだ。『最後の日までこんなことをするのか、やり過ぎではないか』誰もが 抗議するほかはなかった。ちょうど龍山署情報課長とその手下が現れた。かわ いそうな戦闘警察に何の罪があるかと思い、話も聞かずに行こうとする彼らを 捕まえて半分は絶叫、半分は哀願で話した。『どういうことか、はやく道を開 け』。考えてみると、その程度が『暴力』で、『公務執行妨害』だ。 小さかった時、田舎町に住んでいたので御輿柩が出て行く風景にしばしば接し た。御輿柩は何度も道路で座り込んだ。故人がここに縁があるので休んで行こ うと言っているともいい、ここでの未練が断ち切れなくて進めないとも言った。 理由なく座り込んでしまうことも多く、困り果てることもあった。よく橋の上 で座り込んだりした。世話人が頼んでも効果がなかった。果てしなく時間がか かり、だがそんな時に誰も、どの車も、どこの警察/公務員も、問い質したり、 どけなどとは言わなかった。むしろ近付いてきて貧しいポケットから小銭をさ し出し、冥福を祈ってくれた。あるいは葬儀の過程で紛争があっても、それも みんな解怨のためだと思った。それが私たちの美風良俗だった。この国の政府 と警察は、そんな礼儀と美風良俗には考慮する気さえない。 話が長くなった。結論をいえば、私は死んでも今度の召喚には応じられない。 自分の足で素直に出頭はできない。リップサービスでしかないと思うが、政府 を代表して国務総理が謝罪し、やっとすることができた1年ぶりの葬式だった。 該当作戦遂行担当者だった竜山警察署は、この前で百回謝罪してもその罰は少 なくない。昨年1年間、竜山ナミルダン前での無数の衝突を考えれば、あの日の ちょっとした対立ぐらい、実に何でもないハプニングや厄払い程度だっただろ う。公務執行の著しい邪魔になるような情況でも場面でもなかった。ところが、 なぜ? 不敬罪か? たった一度も屈することなく戦った私が憎かったのか? 事実、 自分で考えても限りなく無謀だったりもした。数か月ずっと今日捕るか、明日 捕るかと思っていた。我を忘れて戦ったり発言していると、いつしか遺族と撤 去民の人たちが周囲を取り囲んでいた。『ソン・ギョンドンを連行しろ』とい う無線の声を聞いたと言って、何度も彼らではなく味方に連行(?)され、ナミル ダン焼香所の中や、レアの中に連れて行かれたりもした。「ソン・ギョンドン のバックは誰だ。なぜ捕まらないのか理解できない」とムン・ジョンヒョン神 父様がけんつくを食わせたりもした。そんな私がマイクを持ちさえすれば、竜 山警察署長も、李明博大統領も、すべて『あの野郎』だった。 そんなことは前にもあった。2006年浦項で公権力に殴られ、後頭部を割られて 死んだ非正規日雇い建設労働者、ハ・ジュングン烈士追悼祭時のことだ。当時、 不法追慕祭で〈新しい世界を建設しろ〉という追悼詩で暴力集会を宣伝扇動し たという理由で召喚状を受け取った。だが、ハ・ジュングン烈士の死は明白な 公権力による他殺なのに疑問死として残っている間は私は死んでも出頭できな いといった。4回も召喚状を受け取っても、葬儀が行われても、当時の民主労総 の委員長をはじめ、指導部が全員出頭して行ったという甘い懐柔の言葉を聞い ても、私は行けなかった。行きたくなかった。捕まえて行くなら捕まえて行け といった。今だから言うが、とても遠かったということもある。いくらでもな い交通費に窮してもいた。 当時はハ・ジュングン烈士1人でもあった。今度は少しどころか、その残念な死 が五人だ。ハ・ジュングン烈士も疑問死のまま行われた残念な葬儀だったが、 竜山烈士の死も、何も真相が究明されないまま行われたうらめしい葬儀だった。 そのように竜山烈士たちを、私を、私たちを、この時代を、また暗い土の中に 埋めることだけでも佗びしくて、憤激してどこに行くかもわからない孤独な心 とからだは壊れるまで壊れているので、今、出頭までしろと言うのだから。私 にはとてもこんなことは容認できない。 もちろん一回ぐらい頭を下げて行き、知らない間でもないのだから適当にやろ うということもできるだろう。選手同士なんだ、みんな終わったのだから上手 にまとめようと、それとなく脅すこともできるだろう。特別なことではないの だから不拘束で罰金いくら、執行猶予10か月ほどで良いだろう。いつも申し訳 ないチョ・ヨンソン弁護士さんの言葉通り、さっさと進めて、すでに進行中で 4月23日には1審が終わる去年3月7日の竜山の件とこれも併合させればいいのか もしれない。昨年6月まで二回受け取った未決召喚状の件もまとめてやり過ごし てもいいだろう。それでキリュン関連の二件と合せて五件が併合されるのか。 どうせ一度にやらなければならないのだから気にしなくてもいいだろう。 だが私は行けない。こんな無知な法の専用と乱用は認められない。あなた方だ けに、あれほど集まる権力に承服できない。昨年1年、国民が竜山に集めた連帯 の気持をこんな形で戯画化してしまうこの政府の不純な行為に素直に応じられ ない。まだ竜山虐殺は終わっていないという人たちの透徹さには敬意を示すが、 間違っているあなた方の舞台に何の考えもなく通り過ぎる通行人にはとてもな れない。さらに召喚者は私だけでなく、竜山氾国民対策委のスタッフで対政府 交渉の担当者だったカトリック人権委キム・ドクチンと、当日秩序維持員とし て働いた全国撤去民連合会員数人も含まれているという声を聞いた瞬間、ます ます行けないと感じた。 単なる報復を越え、これは企画捜査だ。竜山警察署だけの企画ではない。葬儀 からもう3か月。私たちが竜山を全く忘れ去ったその時間、彼らは私たちを忘れ ずに追跡してきた。そういえば最近のいくつかの竜山関連事業を思い出す。葬 儀が終わってもまだ終わらない竜山を問題にする事業があった。竜山派遣美術 家(彼らは自らをそう呼ぶ)が開いた〈ミヨン氏がやらせた展2-終わらない美術 祭〉だ。彼らは竜山葬式の時に長期闘争ドットコムが出力してやるという幟を 極力遠慮し、自ら徹夜で160枚の幟を作った人々だ。2月最初の週から毎週金曜 を〈竜山と一緒にする日〉にして、これに続いてレア・ビヤホールで25回に達 する〈終わらない展示〉を開いた不屈の芸術家たちだ。 このバカな人間たちは、情勢判断とは何かをよく知らなかったり、知ろうとも せず、竜山問題が葬儀の後に静まった後も竜山虐殺真相究明のために〈終わら ない展示〉を続けるという無謀な人々だ。昨年1年は竜山現場に人を呼ぶために やったたとすれば、今は人々が暮す所に私たちが竜山問題を持って行くという 人々だ。私もその純真さに舌を巻く人々だ。彼らが昨年1年間、竜山で何をした のかを知りたければ、私たちの時代の最も美しい美術関連エッセイ集で創作と 美術精神の指針書になる〈終わらない展示-竜山派遣美術家追慕集〉(生が見ら れる窓編集)を読めば良いだろう。私はこれほど平凡ながら、愉快で崇高な本は ほとんど見たことがない。 また烈士評伝形式のマンガ本、〈私が暮した竜山〉(ポリ出版社編集)を出した 漫画家も彼らだ。彼らは9か月にわたり、他の人が道路でできるだけ怒りを表出 している時、小部屋に閉じ込もって、私たちがもっと掻き分けていくべき竜山 の話を漫画で描いた人々だ。私たちの時代が島流しにした彼らだ。ようやく作 業を終え、ちょうど1年になった今年の1月20日、献呈漫画集を出したのも、竜 山はまだ終わらないと、今は行動に出ると一足遅れて(?)立ち上がった彼らだ。 毎月1回、竜山を記憶するドラムコンサートを開くと言い、その初回を先日弘大 前の代案文化場所の〈クラブ パン〉で盛大に開いた。 これらすべてはまだ休んでいるところで、私は全く関与していないことなのに、 何かの関連性が感じられるのはなぜだろうか? もしそのためなら間違いなので、 また探してみるように願う。なぜだか竜山関連の文化芸術事業を受けることに なったりもしたが、今は私ではない。教えてみれば、それはチョン・ミヨンで、 イ・ユニョプで、シン・ユアで、ナ・ギュファンで、イ・ユンジョンで、チョ ン・ジンギョンで、チョン・ユニと、キム・ジョンドで、イ・チョルジェと、 キム・ギホなどだ。キム・ホンドと六人の漫画家で、即座に弘大トゥリバン撤 去現場に移動したチョ・ヤッコルだ。4大河川事業を防ぐため徐々に伸びをしな がら、春の外出を準備している韓国作家会議と作家宣言6.9の若い文学者だ。私 ではない。私は彼らの前で恥じる人でしかない。 それでも召喚したいのなら、自分の足では行けないから逮捕しろ。まだ終わら ない竜山を逮捕しろ。小さな体だが、君たちの幼稚さが、極悪さがどんなもの なのかを証明する。あまりはやく安心してしまったことを反省して、また戦意 を燃やす。860万の非正規社会全体が監獄で、すべての生が少数の利益のために 何か加工肉かのように扱われるこの社会全体が、強制労役場そのものだから、 入って暮すか、出て暮すか、あまり違いもなく、何も恐れることもないから、 いっそ君たちの思い通りに捉えて閉じこめろ。だがお前たちが閉じ込めても私 の夢だけは、意志だけは閉じ込められないだろう。この前出した詩集の前書き でも話したように『すでに私の夢はこの世のものではないためだ。』 元に戻って、実際に召喚されるべき人々は、相変らずあなた方であることを肝 に銘じろ。現実の法はあなた方が握っているかも知れないが、歴史の法、民衆 の法は、光州虐殺の主犯の全斗煥を法廷に立たせたように、また竜山惨劇の悪 行を問い、あなた方を召喚するだろう。 もちろん、私に何の罪もないというのではない。むしろ多い。考えてみれば、 あなた方は今立派に公務を遂行する模範公務員だ。法秩序を確立するためにぜ ひとも必要なことを適切に遂行している。対象もきちんと捉えた。そうだ。私 はあなた方の『公務執行』を何としても反対したい人だ。前もそうだったし、 これからもそうだから、徹底的に芽を摘まなければならず、改悛の情が全くな いから容赦があってはならないだろう。だが振り返ってみろ。あなた方が執行 する公務が誰の側に徹底して偏向的に立っているかを。私はそんなあなた方の 公務を『公務』とは認めないばかりか、むしろ本当の共同体社会の平和と平等 を阻害する危険な反社会的犯罪行為だと感じる。このように、あなた方が執行 する『公務』そのものの根元を否定する人だから、あなた方の世界では処罰さ れて当然な程、罪が多いだろう。 だから召喚状を受け取り、むしろ憎むのは当然のことを用意周到にするあなた 方ではなく、私たちの内部だ。とても優しくて素朴な私たちの時代の貧しさだ。 適当さだ。不徹底さだ。いやそうして新しい社会への夢が、勇気が小さくなっ ていく私だ。逮捕しろ。こんな私の反省と寂しさを。この余裕とためらいを。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-05-03 12:12:11 / Last modified on 2010-05-03 12:12:13 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |