韓国:竜山惨事告別式 | |||||||
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「烈士になって本当に悔しい。本当に悔しい」竜山惨事告別式、「悲惨に新でも最後の道は孤独ではなくて幸いです」
キム・ヨンウク記者
batlue@jinbo.net / 2010年01月09日23時49分
5人の撤去民烈士が磨石牡丹公園民族民主烈士墓地に出かける日は、ついに遺族 の涙を隠すようにみぞれが降った。1月9日正午から始まった竜山惨事告別式と デモ行進、路祭は佗びしいほど長かった。警察は故人の最後のデモ行進さえ素 直に送らせなかった。警察は烈士が笑って復活しろという大型の絵の復活図を 持ってデモ行進をすることはできないと防ぎ、車線についてデモ行進の途中に 文句を付け続けた。この日の告別式と路祭には5千人が参加して、死んだ撤去民 の最後の道に冥福を祈って真相究明を約束した。 ヤン・フェソン烈士様、ユン・ヨンホン烈士様、イ・サンニム烈士様、 イ・ソンス烈士様、ハン・デソン烈士様... ソウル駅の告別式場はイ・ガンシル、チョ・フェジュ常任葬儀委員長の弔辞で 五人の撤去民烈士の最後の名前が鳴り響いた。 統一問題研究所のペク・キワン所長は、厳しく李明博大統領を叱責した。 キム・ジョンファン詩人は「ソウル特別市竜山4地区、ナミルダン、355日、 シッ、シッ、風の音、-生きている妻が死んだ夫に-」という弔詩を朗読した。 その間、故イ・サンニム烈士の嫁チョン・ヨンシン氏はまた監獄に入る夫の イ・チュンヨン氏の横で佗びしく涙を流した。 遺族全員が壇に上がった。イ・サンニム烈士の夫人チョン・ジェスク氏が代表 で遺族挨拶をした。 「お父さんの霊前で一度も礼をすることも出来なかった末っ子も監房からしば らく戻り、喪主になりました。数カ月たっても事態解決の兆しが見られず、や むを得ず散った子供たちも、軍隊と学校から戻りました。空の霊安室も、嘘っ ぱちで穴をあけられた胸も、少なくとも満たされました。 もう故人をこれ以上冷たい冷凍庫に置いておけず、苦しい決心をした遺族に、 とても口にできない言葉を投げる人もいました。つとめて見ないように、聞か なかったふりをしたが、1年前、故人を「都心テロリスト」と言った記憶がよみ がえり、本当に気持は楽ではありませんでした。故人の肉身は土に埋めて差し 上げられても、テロ犯、殺人犯と烙印を押され、地に落ちた故人の名誉はこれ からどうすればいいのでしょう。 母の気持はそのまま仲間の気持です。他人の問題を私の問題と思い、誰が先と いうこともなく、あの高い櫓に上がった仲間たちは今日も監房にいます。私た ち遺族は今日、故人を土に埋めるのではなく、胸に刻みます。なくなった方々 がどう変わられたのかの真実を明らかにし、名誉を回復するように力を貸して ください。またくやしい寃罪で冷たい監房に閉じ込められた息子、仲間たちが 一日も早く無罪で釈放されるように智恵を出してください。そして私たちのよ うな撤去民が韓国で希望を見つけられず、あの危険な空の果ての櫓に上がるこ とがないように、この誤った再開発を直してください。貧しい人々が共に生き られる社会を作ってください」 告別式は野4党代表、全国民族民主遺族協議会のペ・ウンシム会長の弔辞とパク・ チュン、アン・チファンの弔歌、キム・ミソン氏の鎮魂舞と続いた。参加者た ちは2時30分頃に焼香と献花を終え、惨事がおきたナミルダン・ビルへの追慕行 進を始めた。 ソウル駅から竜山まではバスで4停留所程の距離だったが、行進は二時間以上か かった。100本余りの幟と5人の烈士の大型の遺影、復活図を前に立てて行進を 始めると、空から雪が降り始めた。気温も低くなり始めた。 車線確保をめぐって警察ともめながら行かなければならなかったので行進は遅 れた。特に路祭が予定されていたナミルダンまで100メートルほど前で、行進は 30分ほど中断した。路祭のために大型ステージカーが必要だが警察が阻止した ためだ。 結局、路祭はキム・ソヨン金属労組キリュン電子分会長の司会でかなり暗くなっ てから始まった。雪はますます激しくなった。いつのまにか舞台一番前に座って いた遺族の頭と肩には真っ白に雪が積もった。 路祭で遺族は舞台に上がり、最後の挨拶をした。遺族代表として故イ・ソンス 烈士の夫人クォン・ミョンスク氏が出て、感謝の言葉を伝えた。 「これまでとてもたくさん泣き、これ以上出る涙があるかと思いましたが、こ れが最後の姿と思うと、どうすることもできず涙が出てきました。バカなこと ですが、冷凍庫にいる時は遺体とでも会えたのに。もう写真と記憶でしか会え ないあなた... 夢の中だけで会えるあなた... 葬儀を行って、1年ぶりに家に戻っても、前と同じであるはずがありません。お 父さんなく、どうして生活を続けるのか、気が遠くなります。帰る家もいい家 ではありません。それでも皆さんが勇気をくれ、精神科の治療を終えればビル 清掃でもして子供を教えようと堅く決心しています。しかし空っぽの部屋の片 隅にいる私の夫、私のお父さんへの気持は簡単に洗い落とせないでしょう。 竜山を後にして離れるのは、気持は楽ではありません。夫の怨みの霊が渦巻く ナミルダンで一日一日を過ごすのがあまりにもつらく、こうして整理して離れ るほうがいいと思いますが、虎視耽々と私たちが出ていくことだけを待つフォー ククレーンとダンプカーを見ると、心は重くなります。私たちが竜山から出て いけば、いつそんなことがあったのかというように、ここを金持ちの天国にす るのでしょう。私たちのような庶民がここに住んでいたことを思い出すことも できないほど、華麗な竜山にするのでしょう。 今、国民の皆様に最後のあいさつをする時になったようです。みじめになくな りましたが、最後道は孤独ではなくてとても幸いです。時間がたてば忘れられ るのかと恐ろしかったのですが、これほど多くの人々に来ていただき、私たち 遺族は身の置き場がありません。 氾国民対策委、神父様、修道女様、牧師様、国会議員様、文化芸術家、レアの 家族たち、竜山を忘れない市民たち... この1年間、この国の政府が捨てた私た ちを、家も行く所もない私たちを、あたたかく面倒を見てくれた国民の皆様に また一度深い感謝の言葉をさし上げます。私たち遺族も皆さんを信じて最後ま で戦い、その恩に必ず報います」 路祭はまた涙の海になった。路祭を終えた参加者はバスに分乗して磨石の牡丹 公園に向かった。バスが出るとすぐ雪がやみ始めた。 ▲告別式の前、遺族は手配犯人がいる明洞聖堂を訪ねて抱きあって泣いた。手配犯人は争議の責任者だが、政府は手配犯人が告別式に参加することを阻止した。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-01-12 22:48:42 / Last modified on 2010-01-12 22:48:43 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |