松本昌次の「いま、言わねばならないこと」第6回 | |
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第6回(2013.9.1) 松本昌次(編集者・影書房)「思い浮かべる(ゲデンケン)」ことについて1985年5月8日、ドイツ敗戦40周年当日、当時の西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が連邦議会で行った演説は、『荒れ野の40年』として岩波ブックレットで翌年2月邦訳(永井清彦訳)・刊行され、30年近くを経た今日でも版をあらためながら広く読まれ、感動的な演説として話題になることが多い。それは言うまでもなく、ナチス・ドイツの戦争犯罪を誠実に認め、敗戦記念日を心に刻まねばならないとのべつつ、過去に目を閉ざすならば、現在を理解することはできないことを切々と具体的に語ったことにある。 特にわたしが感銘を深くするのは、「戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべ」るくだりである。大統領は自国ドイツのことよりもまず、「強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人」のことを思い浮かべるのである。そしてつづいて、「戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者」を悼むのである。いわば、かつては敵対した民族・国家の犠牲者を先に思い浮かべたあとに、みずからの同胞――戦いに斃れた兵士、空襲や逮捕・亡命で命を落とした人びとを哀悼するのである。なんという立派な姿勢だろうか。 さらに感動的なのは、虐殺されたシィンティ・ロマ(ジプシー)、同性愛者、精神病患者、そして宗教・政治上の信念ゆえに殺された人びと、銃殺された人々、ドイツ内外のさまざまな組織に加わったレジスタンスの犠牲者たち――それら死者たちの「苦悩の山並み」を心に刻み、「悲嘆の念とともに思い浮かべ」ようと語りかけつつ、あわせて、これらの「残忍で非人間的な行為」のなかで、「人間性の光」を守りつづけた各民族の女性たちに敬意を表するのである。 ヴァイツゼッカー大統領は、男爵の一族であり、父親はナチス・ドイツの外務官だったためニュルンベルク裁判で裁かれたり、自身はキリスト教民主同盟に入党、どちらかといえば、保守派に属する人物である。しかし日本の保守的な政治家たちと、なんという人間的・思想的なひらきがあるだろうか。それは、ドイツと同じく、去る8月15日、敗戦(終戦ではない)68周年に開かれた政府主催の「戦没者追悼式」での安倍晋三首相の式辞などとくらべれば明らかである。やはり東京裁判で裁かれ、安保闘争を鎮圧した祖父の亡霊に導かれるかのように、それまで辛うじて痕跡をとどめていたアジア諸国への加害責任と、反省・哀悼の文言まで、すっかり削りとってしまったのである。ヴァイツゼッカー大統領の足の爪(手ではない)のアカでも煎じて呑ませてあげたい思いである。 安倍首相をはじめとする政府要人、国会議員などの大多数は、敗戦前の大日本帝国が、アジア諸国への植民地支配・侵略戦争などで、ナチス・ドイツにも劣らぬ暴虐の限りをつくした歴史的事実を、チラリとでも思い浮かべたことがあるのだろうか。いや、ヴァイツゼッカー大統領がいうように、なにもかもを「起こらなかったこと」にして、目を閉ざしているのだろう。こういう連中に政治の根幹を握られていることは、日本人として恥辱以外の何ものでもない。金があれば、『荒れ野の40年』を読んでいない国会議員の一人一人に、贈呈してあげたいほどだ。そしてそれを見本として学び、日本の過去の植民地支配・侵略戦争の実体がどんなものであったか、思い浮かべ、心に刻んでほしいものである。無論、無駄なこととは知りながら……。 猛暑もいくらか柔らぎ、秋風が膚にしみる。1910(明治43)年5月、「大逆事件」がデッチ上げられる。(翌年1月、幸徳秋水、管野スガ等12人死刑)。8月、「日韓併合」。これらに心を痛めた有名な石川啄木の短歌をもじってとどめとしたい。 地図の上 日本国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く Created bystaff01. Created on 2013-09-01 18:58:59 / Last modified on 2013-09-01 19:02:54 Copyright: Default |